とんだや囃子が伝承される旧石下町(現在の常総市新石下、本石下及びその周辺)の囃子の起源はは定かではありませんが、嘉永元年の本石下、西原両坪での取り決めの中に、囃子(大杉囃子か?)を奏しながら村内を巡行して疫病防止を祈願したことが記されており、江戸期には既に祭祀とお囃子が結びついて行われていたことが伺われます
 文化五年の「本石下村差出明細表」には本石下村惣社として、牛頭天皇社が記され、その祭礼が5月十五日、6月十四日、十五日」に行われるとされており、現在の祇園祭の形態(一ヶ月前のトウジメ一日と二日間の村内巡行という祭礼の形態)に継承されていることを考えると、江戸期には既に祭礼に囃子が伴われ、それが現在に継承されているものと考えられます。
 今、祇園祭の囃子を上演している「
とんだやばやし」は、明治時代の宇都野酉之助(屋号は富田家(とんだや))がその起源である。富田家(宇都野家)は、江戸時代より縁起物等の取り扱い、旅芝居、人夫請負(常総線開設工事に尽力した模様)や、お囃子を請け負っていたと言われ、旧石下町内の門松飾りは平成初期の頃まで取り扱っていました。
 明治時代に、酉之助は先代より受け継いだ囃子ではなく、独自に東京深川より囃子方を招き、当地に居を構えさせて、当時の神田囃子を家族、仲間そして自ら習い「
深川ばやし」としてそれまでとは違うお囃子を演じ始めました。
 酉之助は、東京深川界隈、戦前から戦後にかけては土浦市の祇園祭にも、乞われて複数のその年の当番町内の山車に乗り演じ続けました。
又、地元の昔からの盆踊りに、最初に笛で調子を入れたのが酉之助と言われています。
 旧石下町内では、町を代表する祭礼である祇園祭の囃子方として、長く新石下、本石下両町内の山車に乗り、はやしを演じてきており、地元では、昔からの屋号が「
富田家(とんだや)であることから「とんだやばやし」と呼ばれてきました。
 平成十二年からは二月十一日に石毛稲荷神社で行われる、「初午祭」においても上演しており、宇都野家を中心とした家族や仲間が、その昔からの囃子を受け継いで、平成十二年からは
「とんだやばやし保存会」として守り伝えています。
最近の祭りでは、小さい囃子方が一生懸命の上演で、観客の皆さんに、大いに喜ばれたりもしております。


平成21年10月23日 「常総市民俗無形文化財」に指定されました
平成23年11月26日坂東市において、「茨城県郷土芸能の集い」に、県指定文化財の団体と共に、私たち「とんだやばやし」も参加しました。
 

 昭和30年代以降山車奉納がなかった大町でしたが、昭和51年に久しぶりに曳き廻しをしたとのことです。
 祭囃子は石下神田囃子深川流の乗演です。

 撮影 S51.7 0832さん御提供